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奇跡の脳力開発「能望」実践会

空海の真言を唱えることで、右脳開発訓練をめざす。

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2024年 05月 20日|comment(-)

なぜ、独り言がマイナスの結果を招くか

管理人のとよっチです。

人は誰でも、毎日独り言をつぶやいています。そのほとんどは、否定的な感想です。
そして、それは潜在意識と大の仲良しときている。

多くの自己啓発関連の書物がある。読者も多い。
また、高価な速聴などの機器も販売されている。使用者も多い。

100人のうちいったい何人が成果を出しているか。ほとんどいない。
それはなぜなのか。答えはひとつ。

それらの自己啓発本は、ほとんどは米国発の翻訳されたものです。あるいは、その亜流です。
つまり、米国人のマインドを基礎に書かれたものです。
だから、我々日本人のマインドには決して向いていないのだ。

真剣に取り組んでも、思うような成果は出ない所以である。

では、どうするか。

我々は毎日、何百もの言葉を発している。その言葉を積極的な言い回しに変えることである。
声を出そうと出すまいと、否定的、消極的な言葉は潜在意識にダイレクトになじんでしまう。
日常のマイナスの想いは、潜在意識に染みこみ易いのだ。

だから、望ましい状況など、実現するはずもない。

独り言は、快活な、発展的な、しかも行動的なものにしよう。
そうすれば、マイナスの結果を招かない。

自分が望む通りのイメージを潜在意識に送っているだろうか。
そうでないなら、言葉を言い換えよう。
決して否定的な独り言を使わないことである。

潜在意識には新しいプログラムを送り込もう。
そして、心を浄化しよう。自己実現のために。

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なぜ、独り言がマイナスの結果を招くか

管理人のとよっチです。

人は誰でも、毎日独り言をつぶやいています。そのほとんどは、否定的な感想です。
そして、それは潜在意識と大の仲良しときている。

多くの自己啓発関連の書物がある。読者も多い。
また、高価な速聴などの機器も販売されている。使用者も多い。

100人のうちいったい何人が成果を出しているか。ほとんどいない。
それはなぜなのか。答えはひとつ。

それらの自己啓発本は、ほとんどは米国発の翻訳されたものです。あるいは、その亜流です。
つまり、米国人のマインドを基礎に書かれたものです。
だから、我々日本人のマインドには決して向いていないのだ。

真剣に取り組んでも、思うような成果は出ない所以である。

では、どうするか。

我々は毎日、何百もの言葉を発している。その言葉を積極的な言い回しに変えることである。
声を出そうと出すまいと、否定的、消極的な言葉は潜在意識にダイレクトになじんでしまう。
日常のマイナスの想いは、潜在意識に染みこみ易いのだ。

だから、望ましい状況など、実現するはずもない。

独り言は、快活な、発展的な、しかも行動的なものにしよう。
そうすれば、マイナスの結果を招かない。

自分が望む通りのイメージを潜在意識に送っているだろうか。
そうでないなら、言葉を言い換えよう。
決して否定的な独り言を使わないことである。

潜在意識には新しいプログラムを送り込もう。
そして、心を浄化しよう。自己実現のために。

心の波動レベルを引き上げる

管理人のとよっチです。

望むものを引き寄せるためには、心の波動レベルを高くすることです。

その答えは。

自分の感情をできるだけ肯定的に保つことです。

喜び

幸福感
ウキウキした気分
満足感
安ど感
自信
感謝
平安

このような肯定的な感情に包まれていると、こころは夢を実現するために必要なものを
引き寄せる磁石として働く。

目標や願望を実現したときのうれしい心の状態を意図的に生み出せば
望むもの、望む状況を引き寄せるエネルギーの磁場を持つことになる。


感謝によって豊かな人生を

管理人のとよっチです。

感謝せよ、となぜ言われるのだろう。
感謝には、どんな魔法があるというのか。

「能望」に共通するのだが、
感謝しているときは心身に望ましい変化がおこる。
まず、心拍数と血圧が下がり、消化機能が高まる。

より安らぎを感じ、ストレスが減り、免疫システムが活発になるという。
そして、願望達成へ。
1、実現したい願望を選ぶ。
2、願望が実現したときの感情を自覚する。
3、矛盾する思考や思い込みを消し去る。
4、感謝の波動を放つ。
5、感謝を働かせる。

全身の細胞が恩恵を受け、健康が増進するという。
空海の真言「能望」とまったく同じではないか。

詐欺事件の罪と罰

管理人のとよっチです。

後を絶たない詐欺事件。
愛知県在住の男性が約4800万円を騙し取られたという。
投資話ではない。種目はアダルトサイト登録料であった。

詐欺種目にも驚いたが、その金額には腰を抜かした。48万円ではない。4800万円である。
お金があるから払える、と言ってしまえば身も蓋もない。
私には4800円でさえ大金なのだ。払うはずもないのだが。

あるところにはあるもんだ、という思いのほうが大きい。
なぜ、お金というのは、このように偏在しているのだろう。

この状況はオカシイ、と思うのは私だけなのか。

私は、詐欺事件の報道に接するたびに、ドストエフスキーの名作「罪と罰」を思い出す。
物語の主人公ラスコリーニコフは優秀な貧乏学生である。

彼は、1つの悪行は100の善行によってあがなうことができる、という偏った思考の持ち主です。
自分には高等教育を受けるために必要な金はない。ところが、近所に住む金貸しの老婆は、
無益にもお金をため込んでいる。だから自分がその金を流用して、社会の役に立てば、それは
善行である。という結論に達します。
ラスコリーニコフは老婆を斧で殺害し、金銭を奪うのです。

その他の振り込め詐欺にしても、被害者の多くは高齢者です。そして、高齢者のお金は市中に出ずに活用されることもない。詐欺集団が代わりに市場に出している、と言えなくもない。

若い世代は総じてお金を持っていない。クルマも買えず、結婚もできない。
これでは少子高齢化もやむなし、か。
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